国道16号線で思い浮かぶのは、過去に米軍基地文化が展開され、現在はロードサイドビジネスが盛んな始点の横須賀から横浜、相模原を経由し、村上龍の小説の舞台にもなった福生辺りまでだろう。それに比べて反対側の千葉県を通る国道沿いは、霊園やスクラップ工場、 朽ちた住宅地、無機質な鉄塔など、死のイメージを強く感じさせる荒涼とした風景が目立つ。線上に点在するショッピングモールへ向かうファミリーカー、巨大な物流センターに出入りするトラックが時速60キロメートルで通り過ぎる、ドライバーの目の端から消えていくだけの亡霊のような場所たちは、他者から受けるまなざしが希薄であり、結果的に中心部を覆う過剰な自意識から解き放たれ、無防備な姿を曝け出す。諦めにも似た崩壊、事物そのものに宿る暴力性さえ隠さない。それは堕落ともとれるが、視点を変えると限りなく純粋な形であり、少なくとも私はどこか救われるような気持ちになる。